2010年1月13日(水)

 昨年の12月にブログをはじめました。スケッチや写真、その時気づいた事など何気ない事を不定期にアップしています。
 更新はここのギャラリートークより多いかな。
 鎌倉散歩のつもりで一度、みて下さい。
夜川けんたろうブログ「鎌倉路地裏スケッチ」



2009年9月25日(金)
風はさわやかで太陽も明るく照っていた昼下がり、鎌倉の大仏ハイキングコースを歩いた。
森の中は緑のシェードが陽光をさえぎり、木々を通して吹く風が心地良い。
木の根で出来ている自然の階段を登っている時、ふと目に留まったのはきれいな黄緑色のどんぐり。
土や落ち葉の茶色に埋もれて、ピカピカに輝いたそれは木から落っこちたばかりの間抜けのくせに、拾ってくれといわんばかりに自慢気だ。
それでも、そのピストルの弾みたいな流線型に触れたくて思わず拾ってしまった。
ズボンで拭いてからその小さな木の実をそっとにぎりしめる。
手触りはつるっとして、重みがあった。


小さい頃は森に入ると何故だか闇雲にどんぐりを拾ってポケットを膨らましていたなぁ。
でもあの時は十円銅貨の色した茶色のどんぐり。
今手元にあるのはきれいなピカピカ黄緑色。

いつも思うけど絵の具の緑色系では植物の本当の色を表現するのは難儀だ。
植物の緑はいつか枯れて茶色く色褪せていくから、生まれたてのピカピカの緑色はちょっと表現できないような輝きに満ちている。まさに生命の輝きって感じだ。

ああ、このどんぐりの黄緑色が出せる絵の具が、この森の中に落ちていないかなぁ。(夜)



2009年8月13日(木)

8月6日は広島にいました。
そう昔でないこの日、一発の爆弾が投下されました。
 「リトルボーイ」
それは十何万人もの命を奪い、そして残された者の運命をかえてしまった……。
この爆弾は「兵器」というにはあまりにも罪が深い。
人の命を奪うだけでなく、その尊厳や未来を未だに傷つけている。
(一度ならず二度までも落とされた事には暗澹たる想いにさせられます。)

大倉記代さんとの係りから知り始めた原爆の事、核兵器の事、放射能の事。
知るに従って無知だった事を恐ろしく感じます。

核実験場や核兵器庫、原子力空母や原子力発電所などに囲まれて暮らす私たちにも「被曝」は決して「人ごとでは無い身近な事」だということを知りました。
(本当に逃げられない核の傘?に入っていることを痛感します。)


放射能は今も地球という閉鎖された空間で飛び交っているのだろうか。
それは気持ちのいい季節風にのって、魚たちが元気に泳ぐ海流にのって……。
(目には見えないし匂いも無いのでわからないけど)

青く晴れ渡った広島の空の下、2009年8月6日8時15分。私はただただ黙祷していました。(夜)



*「核の傘」=核兵器を持たない国が、核兵器所有の同盟国の核兵器によって、他国からの核脅威に対して抑止力が得られるという概念。


2009年7月9日(木)

先月の話になるが、船に乗って東京に行った。
熱海の港を出発して、曇り空の下、ジェットのついた高速船で行く東京は「大島」。
そこには「想い出のサダコ」の著者、故・大倉記代さんのお墓があるのだ。
そして6月23日は彼女の命日。
この日には必ず行くつもりで旅の予定をしていた。

鯨にぶつからないように進む東海汽船ご自慢の高速船は、風情はないけど快適で、
離岸してからしばし波に揺られている間に寝てしまう程だった。
ジェット音が静かになって気がつくともう大島。霧に煙る島影は頼りないほど小さい。
港に降りてから島のレンタルバイク屋に行き、黒いスクーターを一台借りる。
頭に合わないヘルメットを被って、早速大倉さんに会いに行った。

三原山へと続くスカイラインの入り口を少し入ってから、舗装もない林道をしばらく行く、
すると小高い緑の丘が見えてくる。
― みらい園 「千の風」 ― 
樹木葬で葬られた人たちが緑の木々の中で瞑るところだ。
大倉さんの場所はその丘の中腹のまだ背の低い、若い柿の木が目印。
重たい御影石の墓石の林立する墓地と違い、風の音と霧雨と、緑の木々だけの空間は、人が自然に還るという事実を改めて思い出させてくれる。
 
柿の木の根元の小さなプレートには「大倉記代」の文字。晩年、イラクで被曝した子ども達の為に尽力し、核廃絶を願いながら、皆に惜しまれて逝った人に、彼女が創立した「サダコ」・虹基金のその後や、ジムネット、イラクの子ども達の事などを話した。

帰り際、ふと見上げると空にはカモメ。

今の報告を聞いていたなら、確実に天に届けてくれよ。(夜)


2009年2月16日(月)

日記を付け始めた時期があったけど、それは何歳の頃だったろう。
いつも三日坊主な自分の日記帳は 途切れたままで、
その後何冊か買ったような気がする……。
まぁ 三日坊主というよりは、むしろ空白が多く、かなりの日数が経ってからまた書き始めるような不安定な虫食いの日記帳だった。 
それでも、その当時の出来事が、不完全だけど再現されていて、
小さな時の自分が、はだしで頭の中を走り出す。

日記にはその時の自分の生々しい記憶と感性で綴られるわけだけど、小学生だった頃の日記は実にカラッとして、活きがよく、なんて前向きでバカなんだろう……、と微笑ましくなるものだった。

日常にあふれる小さな出来事も、絵を描く前の画用紙みたいに真っ白な心には、原色で元気よく描かれていくんだね。そんな無垢な感性で日常をみていた幼い日を懐かしく思った。


……この前 たまたま出て来た昔の日記を読み返し 一人笑った夜のこと。(夜)


2008年9月7日(日)
今夜はすごい雷だ。ピカッと光ってゴロゴロッゴゴゴッーの雷鳴は昔と変わらない威厳を持った音色。一瞬の真昼の明かりの様に暗闇を照らす稲光は、雷を落とす場所を探す照明弾のようで、小さい頃は強がっていてもやっぱりすこし怖かった。
それでもその大きな音や強い光には自然の偉大な力強さがあって逆に励まされているような気がする。だから、今では雷の鳴る日はワクワクするから好きだ。そんなかみなりの音を聞きながら……。

人間はちっぽけで頼りない存在だけど、それでもいじらしくこまごまと生きている。その姿をフラッシュを焚いて上から見下ろす人がいるのかもしれない。
もし天上の誰かが右往左往する僕等の姿を記録してくれているのなら、何か小さな善いことを、雷のなる晩にひとつでもしておこうか、と。 (夜)


2008年6月13日(金)
降り続く昼下がりの雨。
ふっ、ともの思いに深く沈んで行く瞬間があって、それはいつも突然に。
湿気の篭る部屋の中でいつまでも続く雨音は、ショパンの曲ほどドラマチックではない。
サーッと窓を開け放すと雨の匂いと鳴り止まぬ拍手の様な雨音が飛び込んでくる。

その日の気分は、日本独特の馴染みのあるさみしい旋律みたいで、盛り上がりなど無いのだけれど、暗くなるほどの深刻さが無いから気分も雨もその日のうちに降り止んでしまった。



「雨だれ」という曲は、地中海の孤島「マジョルカ島」へ
転地療養に行っていた時に作りました。……ショパンが。
(夜)


2008年3月23日(日)
春光まぶしいこの季節、孵化する前の卵の温もりのような陽光射す故郷の風景。反対に南欧の強い日差しには追い立てるような厳しさがあって、照りつける太陽にサングラスが手放せない。今回サングラス越しに見てきた、イタリア、ベネツィアの景色といえば相変わらずの石畳と碧の運河と青い空。

滞在中。曇りの日もあったけれど、残る印象はコントラストの強い街の景色。人工的に造られたこの街には柔らかく日差しを遮る木陰というものが少ない。それでも中世の街並みと生活様式が残るこの街には安堵感を憶える。

入り組んだ小運河に淀む碧の水、小路地から見上げれば長方形に伐り取られた深く青い空。それらが心のキャンバスに残して行くコンポジションを忘れないようにアトリエに持帰ろう。 (夜)


2008年1月23日(水)
真白な雪。雪の言葉の解釈は同じだろうけれど、住む場所で、雪との接し方で、その言葉の持つ意味合いはちがう。

雪国に住んだ事がないから、雪のイメージは天からふる綿菓子かちょっとした窓外の風景のアクセント。童謡に歌われる仔犬のように喜び気分は庭を駆けまわる……。
午前中のたったひと時、積もるまもなく雨に変わったけれど、久しぶりの雪にそんな気持ちになれればうれしい。

でも、豪雪地帯に住んでいる人にとっての雪は、心に重くのしかかっているのかもしれない。  (夜)


2007年12月26日(水)
12月の寒空のした、誰も通らぬ しずかな夜の ちいさな交差点。 赤、青、黄の信号灯が冷く、規則正しく光っている。 暗い地面は凍りつくようで、濡れたアスファルトが爬虫類の膚を思い起こさせる。
そんな夜にふと思う……本当はぼくらは大きな恐竜の背中の上で暮らしてるんじゃないかな?なんて。 大きな恐竜は来年も無事だろうか?振り落とされないようにじっとしがみついていよう……。

たまにこんな空想をしてみるのも面白い。でも春が来たらノミみたいに伊太利亜までジャンプして行かなくては。(夜)


2007年11月12日(月)

今、私がやっているワークショップで、参加者の皆さんが絵を描いている間に「ライア」という竪琴を演奏して頂いています。この響きを聴きながら絵を描くと不思議とどの方も素直になられ、思いもかけぬやさしい色合いで表現することができるようです。
この楽器の音色は本当にやさしく透明で、まるで宇宙から星をさらって30数本ある弦から矢のように放っているかのような響きがします。私もその矢に射抜かれた一人で、どうしてもこの美しい響きを自分でも演奏したくなり、竪琴奏者の末松晴美さんに教えて頂く事になりました。まだ竪琴は思うように扱えませんが、丁寧に創られたこの楽器を手にしているだけで気持ちが落ち着いてきます。
いつか自由にこの楽器を奏でられるようになるその日まで、星のような音色は天空に預けておこう、と秋の夜空を見てそう思いました。 (夜川けんたろう)