●2012年1月17日(火)
雨
この冬、関東地方に雨が降らない。
そういえばチラッと雪は降ったが、雨は1カ月以上降っていない。
湿度は30%を下回った。この数値はサハラ砂漠よりも低いのだという。
当然のことながら、東京近郊の農家では作物がいつものように育たない。
大根、小松菜、キャベツ、イチゴにいたるまで出来が悪いという。
野菜の高騰はいうまでもない。
東日本大震災、福島第一原発事故という大きな傷を抱えながら歩む私たちにとって、また一つつきつけられた苦しみだ。
私は3月12日に東電の福島第一原発が爆発して以来、雨を怖れてきた。
雨がふらないことを願ってきた。
雨の中を傘もささないで歩いている子どもを見ると、だめ、雨にあたっては、と声をかけそうになっていた。
でも正直言ってこのとき野菜のことまで考えていなかった。
雨が降らなくてはもの皆育たない、のだった。
いったいどうすればいいのだろう。
私たちにとって健やかな雨がどれほど大切なものなのか、思い知らされる毎日だ。 (S)
今日の詩
「雨」 ロバート・ルイス・スティーブンソン
雨がふる あたり一面に、野原の上に、木の上に
ほら,この傘の上にも 雨がふる
そして海に浮かんだお船にも
The rain
The rain is raining all around
It falls on the field and trees.
It rains on the umbrellas here
And on the ships at sea.
『詩人たちの贈り物』より
●2011年10月23日(日)
「水よ、おまえはどこへ行く」 ロルカ
水よ、おまえはどこへ行く?
わたしは行きます、笑いながら
川をくだって 海の岸へと。
海よ、おまえはどこへ行く?
川をのぼって わたしは捜しているのです
いこいの泉を。
そうしてポプラよ、おまえは何をしているの?
わたしは何も言いたくない。
わたしは……震えているだけです!
川にむかって 海に向って
何をわたしは望んでいるのか、いないのか
(鳥が四羽 あてもなく 高いポプラに とまっている)
水は、川は、海は、鳥は、木々の葉は、
どんな会話をかわしているのだろう。
「自然」に耳を傾けることを忘れた人間は救いようがないよ、
と津波や洪水が警告しているように思える。(S)
●2011年10月17日(月)
「虹」 まど みちお
ほんとうは
こんな 汚れた空に
出て下さるはずなど ないのだった
もしも ここに
汚した ちょうほんにんの
人間だけしか住んでいないのだったら
でも ここには
何も知らない ほかの生き物たちが
なんちょう なんおく 暮らしている
どうして こんなに汚れたのだろうと
いぶかしげに
自分たちの 空を 見あげながら
その あどけない目を
ほんの少しでも くもらせたくないために
ただ それだけのために
虹は 出てくださっているのだ
あんなにひっそりと きょうも
まどさんのやさしいことばで書かれた詩に胸をつかれます。もうじき103歳になる詩人は今も子ども心で鋭く世の中を見つめているのです。(S)
●2011年10月11日(火)
「秋」 リルケ
葉が落ちる、遠くからのように落ちる
大空の遠い園が枯れるように、
物を否定する身振りで落ちる。
そうして重い地は夜々に
あらゆる星の中から寂寥へ落ちる。
我々はすべて落ちる。この手も落ちる。
他をご覧。すべてに落下がある。
しかし一人いる、この落下を
限りなくやさしく両手で支える者が。
(平野粛々訳)
西の空に、沈む前の太陽が黄金色に大きく輝いていた。
周りの空は赤くない。瞬間、胸がつまり、涙があふれてきた。太陽を喜び、真っ赤な朝焼け、夕焼けを美しいと眺めたことは何度もある。でも泣いたことはない。3月11日以来、心の中のなにかが変わった。
不思議な黄色い太陽の輝きをしっかり見つめ、祈った。(S)
●2011年10月04日(火)
朝晩も肌寒くなり風も心地よく、なんの花か薫る。
鎌倉の今日は晴天。
陽射しは照りつける夏の厳しい熱さとはうって変わって、励ますようなあたたかさ。
もう枯葉の落ちる季節になったんだなと思います。
少年の手のひらのうえの小さな木の実。
土に埋められれば芽吹き、時間をかけて育っていく。
誰が待っているかは知らないけれど、風雨にさらされながらも黙って育っていく。
やがてそれは気付かれぬまま大樹になり、かつての少年の息子に手渡されるための実をつける。
木の実に託された父から子へのメッセージ。名曲「小さな木の実」。
ビゼーの「美しいパースの娘」をアレンジしたこの曲は、
こころにそっと響き自然となみだがながれてきます。
最初に「NHKみんなのうた」で放送されて以来40年ちかくのあいだ歌い継がれてきたこの曲が一冊の絵本になったのはもう8年前のこと。
新刊本だけが並ぶような書店では森の木の実より見つけるのがむずかしい本。
それが、今また注目されてきています。
最近では情報誌の編集者が問い合わせてきたり、宣伝をしていないのに注文が続いたりしています。
じっと耐え忍んで育つ木のように本も生きているんだと実感します。
前回紹介した「小さな木の実コンサート」ではその歌声を聴くことができなかった大庭照子さんですが、彼女のCD「小さな木の実とともに」をよも出版でも販売いたします。
興味のある方はご連絡を。
そしてまだこの本を手に取ったことがない方は「小さな木の実ノート」もご一緒に。(K)
●2011年9月17日(土)
「The Oak」オーク
命を生きよ 老いも若きも
春にかがやき
金色に燃える あのオークのごとく
夏は豊かに 続いて起こる
秋の変化は
くすんだ金色にもどる
ついに葉はことごとく落ち
見よ 立ち続ける
幹と大枝の 裸の力
(アルフレッド・テニソン)
『詩人たちの贈り物』(小社刊)より 横川節子・著/夜川けんたろう・絵
大地に根を這わせ、空に向かって伸び続ける意思は植物も人間も同じ。
くじけそうな時は誰にでも来るけれど、時が癒し太陽が元気を与えてくれる。(K)
●2011年9月12日(月)
「Laughing Song」 笑いのうた
緑の森 喜びの声を上げて笑うとき
When the green woods laugh with the voice of joy
えくぼする小川 さらさらと笑う
And the dimpling stream runs laughing by
わたしたちの楽しげな様子に
When the air does laugh
空気も笑い
with our merry wit
緑の丘 それにこたえて笑う
And the green hill laughs with the noise of it.
英国の詩人ウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』の中の「笑いのうた」の一節です。
「目にしみる緑に 牧場が笑うと 楽しい景色に バッタも笑う」と続きます。
今、一番ほしいもの、それは、おなかの底から笑い 跳ね回ることができる森や野原。
時間はかかるかもしれないけれど、希望を捨てないで、取り戻したい。
水爆実験反対の抗議のためにヒロシマからナホトカへ向けてヨットで船出したレイノルズ一家の末娘ジェシカの書いた『ジェシカの日記』。
17歳のみずみずしい感性で書かれたこの日記の中に、次のような文章があります。
「平和は私たちにとって、とても魅惑的なもの。私たちは、それによって生き、それを吸って生き、その中で跳ね回って遊ぶのです」
読みながらブレイクの「笑いのうた」を思い出しました。核兵器も原発も平和を壊すもの。自然が与えてくれた素晴らしい太陽エネルギーのもとで、子どもたちが笑い転げる日が来ることを祈ります。(S)
●2011年8月22日(月)
「Rain」
雨 Rain
雨が降る あたり一面に The rain is raining all around
野原の上に 木の上に It falls on field and tree.
この傘の上にも ほら雨が降る It rains on the umbrellas here.
それから海に浮かんだお船にも And on the ships at sea.
( ロバート・ルイス・スティーブンソン Child's Garden of Verses)
『詩人たちの贈り物』2007年 よも出版刊より
ざーっと来た雨とともに、涼しさがやってきました。夏がけでは寒くて思わずおふとんを出しました。つい昨日までの暑さを忘れるから、人間って生きていられるのですね。夏休みもとったし、さー、仕事です。もう暑さのせいにはできません。
この秋出版予定の絵本『ぼくはグリ、ヒマラヤン』にまずとりかかります。
お楽しみに。(S)
●2011年8月18日(木)
「Sing Song 」
重いものは? What are heavy?
海の砂 それに悲しみ sea-sand and sorrow:
短いものは? What are short?
きょう あした today and tomorrow:
はかないものは? What are frail?
春の花 若さ Spring blossoms and youth:
深いものは? What are deep?
海 そして真実 the ocean and truth:
(クリスティーナ ロセッティ Sing Song )
『詩人たちの贈り物』2007年 よも出版刊より
ふっとこの詩が心に浮かびました。
口ずさみながらさまざまなことを思い、胸がしめつけられました。
海の底では何が起こっているのでしょうか。
余震がある度に思います。(S)
●2011年8月15日(月)
「八月十五日 」
人類初の核兵器「原子爆弾」が広島に続いて長崎に落とされ、日本はついに終戦の日を迎えました。66年目の今年、東日本大地震による大災害に加えて福島原発の終わりの見えない壊れた原子炉との闘いに、悲惨な状況を重ね合わせて、新聞、ラジオ、雑誌を通して多くの人がさまざまなことを語っていました。その中でもっとも心に響いた人物を紹介したいと思います。
8月4日午前4時台に放送されたNHKラジオ深夜便の「明日への言葉」に登場した詩人橋爪文さんです。十四歳で広島で被爆した文さんは、被爆体験をなかなか話そうとしませんでした。しかし60歳で一念発起して始めた英語学習で訪れたニュージーランドでのある出会いがきっかけとなり、今では世界のあちこちで求められるままに原爆体験を語り、さまざまな国の人と交流する中で、唯一の被爆国である日本が、いかに放射能の怖さを知らないか、という事実にぶつかります。文さんの話を聞きながら私は、よも出版の創設者の一人守屋敦子の言葉を思い出していました。
「私はオーストラリアの小学生からサダコのことを問われ、知らなかった自分が恥ずかしかった。サダコちゃんのような子を2度と出さないために私はこれからの残りの人生をかけたい」。彼女は60歳で大学院に進み、修士論文を「サダコ」で書き上げ、『Do you know Sadako?』を著し70歳で旅立ちました。
被爆して10年後に突然体の中で暴れだす放射能の怖さを、日本人みんなが知っていたら、この地震列島に54基もの原発はできなかったはずです。
橋爪文さん自らが放送の中で読まれた被爆直後の十四歳の詩は胸に響きました。
原発との闘いが終わる日が一日も早く来ることを今日祈ります。
子どもたちの未来のために。(S)
●2011年8月03日(水)
「心に響いた若者たちの語り」
7月30日、31日、女優の滝沢ロコさんが専任講師を務める尚美ミュージックカレッジの声優学科の生徒さんたち130人による『想い出のサダコ』の朗読会が本郷にあるカレッジ本校の地下ホール「スタジオ ブーカ」で催されました。
本番2時間前にスタジオに伺うと、リハーサルの真っ最中。外で待つ間、不思議な雰囲気を感じました。辺りの空気がなにかピンと張り詰めているのです。時おり清々しい風がさっと吹き抜けるようなさわやかさのある空気。リハーサルが終わって生徒さんたちが大勢出てきてからもそれは続いていました。
「みんながこの物語で一つにまとまったのです。サダコちゃんの思春期を自分のこととして捉えることのできる若者たちの心が大倉さんとサダコちゃんの思いに繋がったのでしょう」とロコさん。
本番は見事でした。バックに映し出される夜川けんたろうさんの挿絵も音楽と共に効果的に使われていました。第四章の「ゆきちゃんの死」あたりから、私は涙がとまらなくなりました。2度の原爆そしてフクシマ、と放射能に今も苦しむ日本を思うと胸が痛くなったのです。
最後は全員で滝沢ロコ作詞・作曲の主題歌「想い出のサダコ」の合唱。舞台いっぱいに立ち並んだ生徒さんたちの顔を見、声を聴きながら、こういう若者たちがいる限り、かならず日本は立ち直る、と信じる気持ちが湧いてきました。(S)
●2011年7月26日(火)
「安曇野へ」
長野県の安曇野に行ってきました。目的は絵本美術館「森のおうち」で開かれている「いせひでこ絵本原画展」を観ることと、柳田邦男氏の講演を聴くためです。
穂高駅から車で10分、バスで15分ほど。ログハウスの美術館と宿泊用のコテッジは森の中に静かな佇まいで待っていてくれました。聞こえるのは鳥の声とセミの鳴き声。時折り通る車の音。人声はまったく聞こえません。コテッジの部屋にはテレビもラジオもありません。3月以来、片時も考えずにはいられなかった東日本の災害、そして福島の苦しみも遠くに思えるほどの場所でした。
柳田邦男氏の講演のテーマは「いのちを支える森のめぐみ、木の文化 日本の未来をひらく絵本たち」。ケイタイ、パソコン、ゲームに取り込まれている人々に今こそ絵本を通して、なにが大切なのかを考えてほしい、と具体的に絵本の題名をあげ、スライドで絵を紹介しながらのお話でした。前夜10時まで福島第一原発事故検証委員としてのお仕事をされた後、車でかけつけられた柳田氏でしたが、その疲れも見せず、2時間立ちっぱなしで話されました。
絵本『ルリエールおじさん』『大きな木のような人』の作者いせひでこさんの原画からは、作者の心、息遣いが伝わってきました。
いのちの泉から大切な水を注がれ、生き返った思いで戻ってくることができました。
秋に出版予定の2冊の本、「ジェシカの日記」(To Russia with Love)と 『ぼくはグリ、ヒマラヤン(仮題)』の本創りに弾みがもらえたことは確かです。(S)
●2011年7月19日(火)
東京・調布市、京王線の柴崎駅前にある新座書房を訪ねました。大倉記代さんのお墓参りに大島へご一緒したNさんのご主人が30年間営む書店です。近くにあった大型書店が2つも相次いで閉店し、この町ではたった1軒となった本屋さんです。
駅の改札口を出て10歩も歩かない場所にそのお店はありました。20坪の大きさの書店は、店前から店の中までさまざまな本でいっぱいでした。Nさんが待っていてくださりご主人を紹介してくださいました。笑顔がとても魅力的な方でした。勤め帰りに疲れきって改札を出てきた人が、ちょっと寄って本をパラパラめくり、一息ついてこのご主人の笑顔を見たら、さぞ疲れが癒されることでしょう。書店に行かずネットで本を注文することが多くなった今、なんだか、なつかしい、心がほっとするふれあいです。
その新座書房で、なんと小社の『想い出のサダコ』を平積みにしてくださったのです。そしてNさんから『Memories of Sadako』が早速2冊売れましたよ、とお電話もいただきました。Nさんへのプレゼントとして持っていった『詩人たちの贈り物』(小社刊)も「ステキな表紙ですね。目立つところに飾りましょう」とおっしゃって、商品として並べてくださいました。「詩は今必要ですよね」とご主人も言葉をそえてくださいました。小さな本屋と小さな出版社、心だけは大きく温かく持ち、仲良く共に歩いていきたいとつくづく思いました。(S)
●2011年7月06日(水)
「七夕」
明日は七夕です。ささやかな笹の枝を用意し、願いことを書いた短冊をぶらさげました。
2000年の七夕の日に、よも出版は誕生しました。あっという間の11年でした。2001年と2011年に大きな出来事がありました。9.11と3.11です。世界の人を震撼させる出来事であり、災害です。特に後者は天災プラス人災、放射能という目に見えない相手と闘う前人未到の難事です。日夜現場で働く人たちのこと、福島に住む子どもたちのことを思うと胸が苦しくなります。
「子どもたちの未来を開く本を作りたい」を合言葉に本づくりをしてきたのに、その未来があぶないのです。自分たちの非力を感じます。こんな小さな出版社に何が出来る、と思いつつも、やめるわけにいかないのです。
創ってきた8冊の本がどれも生きているからです。
その本たちのうちの1冊、『詩人たちの贈り物』の第1章の冒頭に出てくる『歓び』という詩の1節を思い出しました。
「その名は歓び」―ウィリアム・ブレイク―
ぼくには名前はない まだ生まれて二日 ――
おまえをなんと呼ぼう?
こんなに幸せだから ぼくの名は「歓び」なんだ ――
歓びよ おまえに降りそそげ
――――― 『詩人たちの贈り物』2007年よも出版刊より
この秋、17歳の少女が半世紀前に書いた1冊の本『ジェシカの日記(仮題)』(To Russia with Love)を出版する予定です。(S)
●2011年6月24日(金)
昨日、予定通りNさんと熱海で待ち合わせ、大島に向いました。あいにくの曇天でしたが、雨はなんとか降らずにすみそうです。乗船時間は45分。話に夢中になっているうちに、あっという間に船は岡田港に到着。
「
千の風みらい園」からの出迎えの車で、園のある山の中へ向いました。樹木葬を選んだ大倉さんがいっぺんで気に入ったという大島桜が何本も立つ斜面は、小鳥の声と木々をわたる風の音以外何も聞こえません。
大倉さんの木「西条柿」は、この3年で驚くほど大きくなっていました。つやつやした柿の葉は「やっぱり実のなる木にしようかな、カラスやリス、なんでもいいの、食べに来てくれたほうがいいわ」と茶目っ気たっぷりに話していた彼女の顔を思い出させてくれました。
Nさんが吹いてもいいですか、と言いながらバッグからハーモニカを取り出して、『波浮の港』と『原爆を許すまじ』を吹いてくださいました。思いがけない演奏に、ふっと胸が熱くなるのを覚えました。
「想い出のサダコ」を読んで心を打たれ、そばに「アンネの思い出」という名のバラの苗木を植えてくださったこの園の代表者の秋田直美さんとも話に花が咲きました。『Memories of Sadako』の英文も読んでくださっていて、ぜひ学校の副読本に採用されるよう、私にできることをさせて欲しい、と協力を申し出てくださいました。
人と人のつながりは、目に見えないけれど、見えるものでもあるんだよ、と金子みすずの詩を思い出しながら、素敵な墓参が出来たことに心から感謝した一日でした。 (S)
●2011年6月17日(金)
「大倉記代さんの命日」
3年前、『想い出のサダコ』の著者大倉記代さんのお見舞いに毎週伺っていた時、病室で紹介され、その後お見舞いに行く度にお会いし,大倉さんの本のことなど楽しくお話させていただいたNさんから3年ぶりにご連絡をいただきました。
「やっと母の在宅介護が終わりました。しばらくは虚脱状態でしたが、少しずつ外に出ようかなと思っています。まずは大倉さんのお墓参りにでも行きたいと思うのですが……。」とメールにはありました。そして本の注文が入っていました。ご主人が京王線の柴崎駅前で小さな書店をなさっているので、英語版とともに置いてみます、ということでした。すぐにメールで返事をし、さらに電話でお話しました。辺りの大きな書店が相次いでつぶれていくなかで、なんとか生き延びています、そこに本を置きたい、と言ってくださったのです。うれしかったですね。とうとう話がはずんで、今月23日の大倉さんの命日に、大島にある樹木葬霊園「千の風みらい園」へお墓参りに行くことになりました。海の向うに富士山が見える素晴らしい眺めを持つ霊園です。『想い出のサダコ』の英語版『Memories of Sadako』が学校の副教材に取り上げられるようしっかりお参りしてこようと思っています。(S)
●2011年6月6日(月)
「ロコさんからの手紙」
毎年8月に『想い出のサダコ』の朗読劇を上演してくださっている東京芸術座の女優滝沢ロコさんから次のようなメールが届きました。ご紹介します。
大震災は、本当に色々なことをもたらしてしまいました。特に、原発の事故による放射能の被害は、私の心にも、サダコと繋がる様々なことを思い浮かべさせています。
この夏は、私が専任講師を務めている尚美ミュージックカレッジ専門学校の声優学科で朗読会として上演させて頂きたいと思っております。
先日第1回の本読みを致しました。
学生たちは、サダコの本を読み、『千羽鶴』の映画を見て、色々なことを感じているようです。今日も『想い出のサダコ』の歌の稽古をしました。大勢の若者たちが歌う歌声を、大倉さんや守屋先生が聞いたら、なんと言って下さったろうと思います。
総勢130人の合唱にしたいと思っています。夜川さんの素敵な挿絵のスライドと、大倉さんの文で、音楽とともに描き出したいと思っています。
日時:7月30日(土)31日(日)3:30会場 4:00開演
場所:尚美ミュージックカレッジ専門学校「スタジオ ブーカ」
改めてお便りさせていただくつもりでおります。どうぞよろしくお願いいたします。
若者たちの心に、サダコの生き生きとした命の息吹や、思春期のいとおしさが伝わることを願っています。 滝沢ロコ
ロコさんはよも出版の「も」である故守屋敦子さんの中学校の時の教え子でもあり、高校の後輩でもあります。ずっと先生を慕い、ご自分の女優としての生きかたの上からロコ企画を主催して毎年夏、自主公演を続けていらっしゃいます。この夏の大勢の若者による『想い出のサダコ』の上演が楽しみです。
あらためて最新ニュースでお知らせいたします。(S)
●2011年5月16日(月)
「出会い」
最近素敵なチェリストと出会いました。といっても個人的にではなく、2回続けて同じチェリストのコンサートを聴きに行ったのです。演奏会は2回ともチェリスト主催の東日本大震災のためのチャリティ・コンサートでした。1回目の会場は北鎌倉の円覚寺の方丈です。金色に光り輝く仏像を前にチェロの奏でる音は深く、静かに心にしみこんできました。ゲストとして迎えた尺八奏者とも絶妙なハーモニーをくりひろげ、その演奏は会場を一つに包み込みました。3月11日以来続いていた肩のこり、背中の痛みがやわらいでいくのを感じました。演奏の合間にチェリストは被災者への思いを語り、聴くものの心に近づくことも忘れませんでした。
2回目は同じ鎌倉市にある清泉小学校の聖堂での小規模なコンサートでした。大震災で親を失くした子供たちのための演奏会でした。チェリストの友人3人がかけつけ、バイオリン2人とビオラとの四重奏でした。
尺八もバイオリンもビオラもいい。でも今、心にひびくのはチェロの音。自然の不思議、人間のおごりを深く気づかせてくれる音だと思いました。チェリストの人柄から出た音がよけいそう感じさせたのかもしれません。
1冊の本が人々の心を動かすこともあります。子供たちの未来のためにそんな本を作りたい、と思っています。(S)
●2011年5月12日(木)
南九州の鹿児島県には薩摩の小京都と呼ばれる知覧という町があります。
ここには世界にも「カミカゼ」として知られた特攻隊が出撃した陸軍知覧飛行学校がありました。
今、その跡地には特攻平和会館が建ち、敗色濃厚な戦争後期に特別攻撃で散華した若き日本(当時は大日本帝国)の青年たち(朝鮮出身者もいた)の遺品、遺書が数多く展示されています。
手紙や遺書には、達筆で辞世の句をしたためたものや、飛行機に乗るまでの間に手帳に走り書きしたものまで、さまざまな形で遺されています。
こうした遺書や遺品の数々はショーケースに納められ、その上には出撃して行った隊員たちの飛行帽をかぶった顔写真が壁一面に並べられています。
母や兄弟を思う気持ちを綴った手紙などは、とても短い文面でも読むだけで涙が知らずにこぼれて来ます。
何故これほどまでの悲しい思いを、弱い立場にある若者が背負って行かなければならなかったのか。どうして未来を担って行くべき彼らが戦争の最後の後始末に狩り出されなければならなかったのか。
戦争とは誰も得をすることはないんだと改めて気づきます。たとえ犠牲を払って戦勝国になったとしても、国は儲かるかもしれないが、家族を失った人々はお金では換えられない大切なものを失います。
同じ九州の福岡県にある、同じく特攻隊が出撃した大刀洗陸軍飛行学校(知覧はその分校)跡地には大刀洗平和記念館があります。
ここでは、小さな子どもたちに平和の読み聞かせを定期的に行っています。
よも出版の本はここでも子どもたちに語り継がれています。
未来の大人である今の子どもたちが、無機質な銃や非人道的な爆弾、利害のみでつながった派閥、偏ったイデオロギーなどで身を守るより、過去の歴史を正しく知り、大切なものが何で、それをどうやって自分で守らなければならないかを知り、考えていく知性を身につけていくためにも、こうした読み聞かせはとても大切なことだと思います。
今も尊い命が戦争だけでなく、デモ、紛争、自然災害や交通事故、自殺などで失われています。
私たちよも出版も、自分たちに出来ること、身の丈にあった小さなことでも踏み出せる一歩を探して、よも出版らしい本創りを今後とも続けて行きたいと思います。(K)
●2011年5月1日(日)
「子どもの日」
新緑が美しい5月となりました。もみじの繊細な葉が太陽の光を受けて、軽やかにゆれています。背中になにか重いものを背負った思いでテレビを見、新聞を読み、メールで入ってくる情報にドキドキした毎日を過ごした4月でした。 月がかわったからといって、朗報がとびこんでくるわけではないのですが、5月が好きな私は気持ちが少し上向きになっています。
今はちょっと会えないのですが、5月3日生まれで今年5歳となる身内の女の子のことを思い出すだけで、自然と気持ちが弾むのを感じます。生まれたときはてっきり男の子と思っていた両親をうらぎり、3600グラム以上の体重で、顔はいかつく(?)、かわいいとはおせじにもいえない女の子でした。それが目を開けるとそれはそれはカワイイ女の子となり、今ではゴムマリのように弾む体で、内外かまわず体全体を使って遊びまわっています。
子どもの日もまもなくです。子どもたちが野原をかけまわり、山や森を歩きまわれる日本を取り戻せるよう、私にできることはなにかを考える毎日です。
(S)
●2011年5月1日(日)
「笑い」
公園、といっても小さな小さな公園です。大小の滑り台と、シーソーがぽつんとあるだけです。6歳の男の子と4歳の女の子と、ブランコがあるよ、ときいて行ったのですが、残念ながらお目当てのブランコはありませんでした。つまんないなと最初ぼやいていた2人でしたが、やがてシーソーの面白さに気づきます。私が一方に乗って、2人を相手に、動き始めるとキャッキャッと笑い始めて、もっともっととシーソー遊びに夢中になりました。
こんなシンプルな遊具で、体中で笑える子どもたちがいとおしくなりました。
ディズニーランドが再開し、待ってましたとばかり大勢の人でにぎわっています。それもOKです。でも電気で動くものばかりですよね。人間の欲望は果てしないのだと、つくづく感じます。
素に戻れる子ども心を大切に育ってほしいと願っています。(S)
●2011年4月9日(土)
「子どもたちの未来」
東北大震災の悲惨な光景を目の当たりにし、言葉を失い、胸が痛む日々。そして想定外の津波で起こった福島第一原発の大惨事。重苦しい日々が続いています。Memories of Sadako([想い出のサダコ]英語版)出版の記事が全国の新聞に出た時、最も多く注文をいただいたのは東北地方の方々からでした。
子供達の未来を拓く本を作りたい、を合言葉に本作りを進めてきた私達とすれば、今大変なことに直面していることを、震える思いで実感しています。
放射能による被害はほかでもない14歳以下の子どもたちにふりかかるのです。チェルノブイリの被害を受けた子どもたちを診察してきた菅谷昭医師(現松本市市長)が政府が早く子ども対策を打ち出さなければいけない。5年後に発症するであろう甲状腺がんを防ぐための薬を配布すべきだ、とテレビではっきり言っています。
2歳で黒い放射能の雨を受け。10年後に突然白血病を発症し、12歳でつぼみのまま散った佐々木禎子ちゃん(サダコ)が放射線の恐ろしさを象徴して、核兵器だけでなく、核そのものの使用は人間を結局は破滅に導く、と訴えているのです。
福島原発から世界中が今学んでいます。唯一の原爆の受けた日本は、この大災害からもう一度立ち直って、核反対を世界へアッピールしていく役目を果たさなければなりません。(S)
●2011年3月8日(火)
大庭照子さんの歌う「小さな木の実」を聴き、胸が揺さぶられたのは9年前のことです。みんなの歌で耳にしていた歌、という意識はありましたが、生で聴く歌声、そしてその歌詞と旋律に鳥肌が立ったのを今もはっきり覚えています。この歌を絵本にしたいと思ったのはその夜でした。
母と子の愛を描いたものはあふれるほどありますが、父親の息子への想いはなかなか絵本になりにくいのか、あまり見たことがありませんでした。父親が亡くなった日、息子は父から託された一粒のどんぐりをにぎりしめ、どこまでも青い空を眺める……。絵本の構想が頭の中を駆け巡り始めました。
絵本『小さな木の実ノート』は大庭照子さん、元NHK音楽ディレクターの若林尚司さん、海野洋司さんの全面的なご協力を得て、2003年に誕生しました。詩情豊かな絵を描いたのは、当時イタリア・ベネチアから帰国したばかりの画家夜川けんたろうさんです。
小学校5年の時、音楽の時間にこの歌を聞き、ワッと泣き出してしまった、当時若手人気落語家だった林家いっ平さんの亡き父への想いを本の表紙に添えていただきました。そのいっ平さんも今や父親の名を受け継いで立派な三平師匠となられました。
あれから8年。「小さな木の実コンサート」が毎年、日本国際童謡館かながわによって開催されています。原画展も熊本、福岡、横浜、鎌倉、とあちこちで開きました。大雪の金沢で「小さな木の実コンサート」を開いた時のことも昨日のことのように鮮やかに甦ってきます。
名曲は歌い継がれ、良い本は読みつがれてかならず生き残っていく、と思っています。(S)
●2011年3月1日(火)
Time fries. 時は飛んでいきます。あっという間に1ヶ月が過ぎました。もっとも一番短い月でしたが、大雪が降り、ヨーロッパでは大寒波とニュージーランドの大地震、そしてチュニジアに始まりエジプト、そして今はリビアと次々と起きる独裁国での革命。心があちこちに飛んで、忙しいのなんのって……。
私事では昨年9月末に骨折した脚がやっと完治しました。手術をせず自然治癒を待ったので時間がかかりました。今、歩けることの喜びをかみしめています。
「Memories of Sadako」の記事が全国の新聞に出て、本のタイトルと表紙を皆様に見ていただけたのではないかと思います。英語を学習している方には年齢を問わずぜひ読んでいただきたい1冊です。学校でも副教材に使っていただけたらと願っています。
かわいい小さな本がたくさんの人のもとに飛んでいくことを、サダコちゃんも大倉記代さんもどこかできっと見守っていてくれることでしょう。(S)
●2011年2月1日(火)
新月の始めの1日、週の始めの月曜日が好きです。とにかくあまりにも速く過ぎていく毎日の中でやり残したことをいったん白紙にして、またスタートしようという気持ちが湧いてくるからです。スケジュールに書いた項目を一つ一つクリアーして、夢を持って目的に向かおうと2月最初の朝を迎えました。そこでまず一番によも出版宛のメールを開けました。次のような言葉が眼に飛び込んできました。
「近く海外に移住することになっており、地元が広島であることからそれを伝えることも私の人生のなかで大事なところであろうと思っていたところ日本経済新聞で御社のことを知り嬉しくなりました。」
そしてMemories of Sadakoを3冊注文してくださいました。ありがとうございます。なによりの励ましとなりました。
アジア大会で優勝した日本チームの監督や選手たちが、サポーターの熱意や励ましに支えられた、と口にしていましたが、その気持ちが痛いほどわかりました。
アメリカの友人に送りたいので、と注文してくださる方は他にも何人かいらっしゃいます。発送手続きをしながらサダコちゃんと大倉さんの願いが世界の一人でも多くの人に届きますようにとポンと本の背中を軽くたたいて送り出しています。
●2011年1月5日(水)
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
世界中に5億人を超えるユーザーを持つ世界最大のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)Facebookによも出版の
ファンページを作りました。
アクセスしてファンになってくれた人が日々増えています。
英語版の『想い出のサダコ』を出版したこともあり、海外の方々にも日本の小さな出版社の心意気をぜひ知ってもらいたいと思っています。
「子どもたちの未来を拓く」を合言葉に、やさしい気持ちが広がって、世界につながって行くことを願っています。
(アクセス用アドレスはhttp://www.facebook.com/yomo.pubです。)
●2010年12月30日(木)
今年もあと1日を残すのみとなりました。みなさんお元気ですか。
よも出版は『想い出のサダコ』の英語版「Memories of Sadako」のおかげで忙しいけれども楽しい日々を過ごしています。
12/ 22日は東京で、よも出版をあたたかく支えてきてくださった方々とともに、10周年記念の会を開くことが出来ました。その席で初めて今月発売の「Memories of Sadako」を手にとっていただき、いろいろなお言葉をいただきました。
お一人お一人の言葉をここで再現することはできませんが、とにかく10年間見守ってくださった方々に感謝のひとことです。
カール・ブルックナーの『サダコ』の復刊で始まった小社が『想い出のサダコ』を翻訳して世界へ出すという、10周年にふさわしい出版になったことは本当に感慨深いものがあります
26日、27日は埼玉県浦和市で開かれた新英語研究会の関東ブロック大会に出店しました。押し迫った忙しい日々をやりくりして参加された先生方の顔は真剣そのもの。でも楽しい英語の授業を自ら体験するティムさんの講座では、みんなまるで中学生になったように、笑い声を上げて時が過ぎるのも忘れました。よも出版のスタッフも生徒になってグループに参加しました。
人と交流し、つながっていく、つながりを大切にすることは自らを大切にすること。運営の責任者であった埼玉新英研の淺川和也先生のあたたかい笑顔に疲れも忘れた2日間でした。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。来年はうさぎのようにぴょんぴょんぴょーんと跳んで、世界へ「Memories of Sadakoが世界へ飛んでいきますように!
●2010年12月14日(火)
今年のNHK紅白歌合戦で原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの甥の佐々木祐滋さん作詞作曲による「INORI」が歌われます。
歌うのはシャンソン歌手のクミコさん。今や「サダコ」として世界的に有名なサダコちゃんが病床で折り続けた千羽鶴に込めた祈りを、クミコさんはどんな思いで歌い上げてくれるでしょうか。
今年の夏、7月9日に東京のNHKホール催された「吉永小百合平和への絆」コンサート」で吉永さんが初めてカール・ブルックナーの「サダコ」(小社刊)の一節を読み上げられました。コンサートの模様は8月16日にNHK BS2で放映されました。その再放送が12月19日(日)にあります。
NHKBS2で15:30―17:00です。見逃された方はぜひご覧ください。
なぜ今「サダコ」なのか……。
吉永さんの朗読を聞き、クミコさんの歌声に耳を傾け、今も広島の平和記念公園に立つ佐々木禎子ちゃんの「祈り」に思いを馳せてください。
●2010年11月24日(水)
ここ、鎌倉の山々もきれいに色づきはじめました。
つい先日まで暗くさびしい色の緑だったのが、見る間に黄金色や橙色、紅や朱色に変わって行きました。
今日の鎌倉は小春日和です。
朝、新聞を取りに外へ出ると玄関の前を紅葉を楽しむ遠足の子どもたちや、ハイカーたちが楽しそうに通り過ぎて行きます。
早速取ってきた新聞を手に取ると第1面は不穏な記事。
核を持つ北朝鮮と隣国・韓国との戦闘を伝える大見出しです。
今や安全の保障されない現状に不安を感じながら新聞のページをめくっていました。すると、とある一つの記事が目に入りました。
「原爆記載勧告前向き(ユネスコ事務局長 加盟国の教科書に)」
― 事務局長は「原爆投下を機に冷戦が始まり、世界は核の脅威にさらされた。原爆投下を教訓として語り継ぐべきだ」と発言。教科書に「広島・長崎の歴史的事実」や「平和の尊さ」を盛り込むよう求める勧告の実現を視野に加盟国に働きかけていきたいと話した ―(毎日新聞11月24日朝刊より一部抜粋)
小社発行の『想い出のサダコ』(大倉記代=著)英訳出版の実現も、恒に「尊い平和」への想いを胸に抱きつづけた故・大倉記代さんの最期の願いでした。
戦争は相手国があってはじめて起こりうることで、その相手国にも自国民と変わらない尊い命が存在しているということを実感しないと、戦争はなくなりません。
サダコは広島在住の被爆した日本人の少女だった、という前にひとりの何の罪もない少女でした。
もう、二度とどの国においても第二、第三のサダコをつくってはいけない。大倉さんはそんな思いを持ったことが、この『想い出のサダコ』を書くきっかけになったことと思います。
やさしい文体の向こう側に、とても強い意志を感じます。
私たちは今、改めて大倉さんの遺志を伝えて行かなければなりません。
ユネスコのボコバ事務局長にはぜひとも『想い出のサダコ』を読んでほしいと思います。
●2010年10月28日(木)
愛知県の県立高校2年生から『ナガサキの郵便配達』について問い合わせがありました。
修学旅行で長崎を訪れ、谷口稜嘩さんの話を聞き、本のことを知った、旅行から戻って図書館から借りて早速読み、強く心を動かされたので、本を購入して手もとにおきたいのだが、まだ本はありますか、というものです。残部がまだあります、とメールで返事を出すと、またすぐに返事がきて、その中にも自分たち若い世代が世界の平和のために受け継いでいかなければならないものをしっかり受け継ぎ、自分たちで核のない平和な世界を築くために一人一人が何かをしなくては、という思いがしっかりつづられていました。
また兵庫県の中学校の先生から、来年5月に修学旅行で長崎を訪れ、谷口さんに話をしていただくことになっているので、事前に『ナガサキの郵便配達』を生徒たちに読ませたいのだが、とりあえず教職員が先に読みますので、と本の注文をいただきました。
出版から5年、本はいつも谷口さんとともにあり、谷口さんが蒔いてくださる種は確実に芽を出し、日本のあちこちで育っているようです。
1冊の本の持つ力を感じています。
●2010年10月7日(木)
10月始めのある晩、長崎の谷口稜嘩氏からお電話をいただきました。兵庫県の中学校の先生から『ナガサキの郵便配達』を来年3年生になる生徒全員に読ませたい。ついては本はまだ残っているか、どこへ注文したらよいのか、という問い合わせがあったのでよも出版の電話番号を知らせてもよいか、とのことでした。もちろんです、と答えながら私は、谷口さんの淡々とした中に、力強さを秘めた声をまた耳にすることが出来た喜びを感じていました。5年前の8月、刷り上ったばかりの『ナガサキの郵便配達」を持って長崎へ行った日がまるで昨日のことのように思い出されました。本と資料を持って谷口さんはこの5年間、国内、世界と核廃絶のために走り回っていらっしゃいます。82歳の現在もその行動力は衰えることがありません。
9月に横浜でお目にかかった時にも、背中をすっとのばしたダンディな姿は変わっていませんでした。「私は神さまに生かされているんです。核がこの世からなくなるまでは死ぬことはできません。若い人たちに伝えていかなくては…」 谷口氏のこの思いが兵庫県の中学校の先生にに伝わり、来年5月には『ナガサキの郵便配達』を携えた兵庫県の中学校三年生が谷口さんを訪ね、直接話を聞くことになっているとのことでした。
●2010年9月5日(日)
戦後65年の今年は例年よりも戦争、原爆関係の記事やテレビ番組が多くありました。それらの記事を読み、番組にふれながら思うところはたくさんありました。でもなぜかその思いをこの欄で書くことはできませんでした。
ただひたすら『想い出のサダコ』の英文が完成するのを待っているだけでした。やっと出来ました。関わってくださった多くの方々に感謝します。
『想い出のサダコ』が世界に羽ばたく日ももうすぐです。またこれから世界へ羽ばたく若者たちにもぜひ和文、英文ともに読んでほしいと思います。
長崎から『ナガサキの郵便配達』(ピーター・タウンゼンド著)の主人公で長崎被災者協議会の理事長谷口稜曄(
すみてる)氏が今月11日に横浜の神奈川近代文学館にみえるとの情報が入りました。新聞やテレビでその精力的な活動にふれ、頭が下がる思いをしていました。5年ぶりの再会を心待ちにしています。
●2010年7月18日(日)
9日の夜、東京渋谷のNHKホールで開かれた吉永小百合「平和への絆」コンサートは、吉永さんが20年以上育み育てた会の重みと深みがズーンと胸に響くものでした。このコンサートの模様は8月6日のNHK総合テレビと8月16日のNHKBS2で放映されます。
第2部で坂本龍一氏と村治香織さんの演奏に合わせて吉永さんは「サダコ」を朗読します。吉永さんの平和コンサートでサダコに焦点をあて、サダコを扱った外国人作家の作品を朗読されるのは今回が初めてです。
丁度10年前にカール・ブルックナーの小説「サダコ」に感動し、絶版となっていた本をなんとかしたいと言う思いで、そのためだけに立ち上げたよも出版としては、感慨深いものがあります。
●2010年7月06日(火)
カール・ブルックナーの『サダコ』を出版してから10年が経ちました。
この記念の年に吉永小百合さんが7月9日のNHKホールで『サダコ』の一節を朗読してくださることになったことを、よも出版設立のパートナーで今は亡き守屋敦子さんは天国でどれほど喜んでいることでしょう。
彼女の著書『ドウー ユー ノウ サダコ?』の吉永さんの項を感慨深い思いで読み返しました。『サダコ』も『ドウー ユー…』も出版と同時に吉永さんにはお送りしています。きっと心のどこかにサダコをしまっておいて
下さったものと思います。
お忙しい毎日をお過ごしの中で年1回続けていらっしゃる『原爆詩』の朗読コンサートにサダコがメインで登場するのは今回が初めてです。アメリカ、カナダ、オーストラリアで読まれているエレノア・コアの『SADAKO』の一節も読まれる予定とのこと。
いずれも児童のためにかかれた事実を題材としたフィクションです。世界でもっとも多くの子どもたちに読まれている核反対を訴える本です。サダコを主人公にした本や映画は日本にもたくさんありますが、外国の児童文学作家が書いた本は上記の2冊がもっとも有名です。
「サダコちゃんを描いた小説や絵本はたくさん出ています。いずれも千羽ヅルに象徴される’生きることへの願い’がよく描かれています。でも同じ病室で3カ月サダコちゃんを見つめていた私だけが知っている彼女の’生きたいと思う強い気持ち’や’死への怖れ’を私はみなさんに伝えたいのです。その願いが『想い出のサダコ』という絵本として形になったことを本当にうれしく思います。ぜひこの本を翻訳して世界の人々に読んでもらってください」
『想い出のサダコ』の著者大倉記代さんの最後の言葉でした。2008年6月23日に亡くなった大倉さんの3回忌も過ぎました。
「Memories of Sadako」(想い出のサダコ)もまもなく完成予定です。
●2010年6月06日(日)
6月に入り、五月晴れのような素晴らしい日が続いています。朝の光、昼間の光、そして夕方の光、それぞれに緑を輝かせる力が違って、木々もそれに合わせるかのように色を変え私たちを楽しませてくれています。
葉をゆらす風を顔に受けながら、自然への感謝の気持ちがあふれてくるこの頃です。
『サダコ』の増刷と『想い出のサダコ』の英語版出版についてはお待たせしております。可能な方向に向けて進行中です。しばらくお待ちください。
●2010年3月25日(木)
今日も雨ふり。鎌倉の山では雨粒にうたれながら桜の花びらがほころび始めました。毎年同じ木から咲く、あたらしい輝くような皓い花は人々の目を楽しませてくれています。
よも出版は今年で創立10周年。7月七夕には満10歳です。
今まで出してきた本は、どの本も派手では無いけれど、確実に大切にしてくれる人の手に渡っている事を実感しています。
本屋さんの棚はまるでTVコマーシャルの様にめまぐるしく、新刊本の波に押し寄せられ、弾き飛ばされてしまいますが、そんな中でも人から人へとよも出版の本を見つけて下さる方も多くいます。
先日、九州は福岡の筑紫平野にある大刀洗平和記念館から『あの日見たこと』(小社刊)の読み聞かせをしたいとの許可申請のご連絡を受けました。大刀洗平和記念館のあった場所は旧日本陸軍の西日本最大の飛行場跡です。1945年3月に壊滅的な空襲を受け、多くの命が失われた場所でもあります。その場所でこどもたちに平和のための読み聞かせを毎週しているそうです。空襲で焼けたあの時の大地と同じところで、毎年毎年、新芽の様に活き活きとしたこどもたちにむけて平和を伝える読み聞かせをしているのです。よも出版の本は他にもある事をお伝えしたら、ミュージアムショップで販売していただける事になりました。ゆっくりとした時間の中、読み聞かせの声を聞きながら、よも出版の本に出会ってくださる方が一人でも多くいらっしゃるように願っています。
●2010年2月26日(金)
春を感じる朝です。うぐいすがきれいな声で鳴いています。笹鳴きはもうすんだのでしょうか、とても上手なので。思わずどこで練習してきたのとたずねたくなりました。それにしてもオリンピックのハイライトの一つともいえる女子のフィギュアの闘いは素晴らしかったですね。キム・ヨナの演技にうっとりし、真央ちゃんのトリプル・アクセルにドキドキし、ロシェットの涙にもらい泣きしました。彼女たちはどれほど厳しい練習を重ねてきたことか。
さて『想い出のサダコ』英文が完成しましたので、最終チェックを入念にし、制作に入ります。選手たちからもらったエネルギーをフルに使っていいものを作りたいと思っています。
●2010年2月07日(日)
寒い日が続きますね。でも冷たい空気の中にも春はちらほら顔を出しています。梅の花、小鳥の鳴き声、霜柱の立つような地面から先っぽをのぞかせているふきのとう。やがてやってくる春をいち早く教えてくれるこれらのものたちに、ありがとう、ありがとう、という思いがこみあげてくる今日この頃です。
さて今週の土曜日、13日からバンクーバー・オリンピックが始まります。
それぞれの国の代表となった選手たちは最後の調整に今も厳しい練習を重ねています。スポーツの醍醐味は一人ひとりがとことん自分を鍛え上げ試合にのぞむところにあるのでしょう。選手の真摯な姿を目にするたびに私は多くのものをもらいます。
●2010年1月31日(日)
早いもので2010年が始まったと思ったらもう1カ月が過ぎてしまいました。
今年は早めに年賀状の当選番号を見て、せめて切手の数枚でも貰おうと賀状を整理していたら、しばらく会っていない友人の賀状が妙に気になりました。
あけましておめでとうございます、のあとに一筆 病院通いが多くなりました、とある。あ、そういえば気になっていた賀状だ、電話をしなくては、と思い立ち、受話器を取りました。変わらない「もしもし」の彼女の声にほっと胸をなでおろし、数分おしゃべりをしました。心配するほどの病気ではなかったことに胸をなでおろすと同時にぬくもりまで伝わってくる電話の良さをしみじみと感じました。
このところ仕事だけでなく友人ともメールで連絡を取り合うことが多くなっています。たしかにメールの便利さはある。でもやっぱり電話の良さを私は捨てきれません。電話線を通じて呼吸まで伝わってくるこのコミュニケーションの手段をそう簡単には手放せないな、と思いました。ケイタイではなく昔ながらの受話器はプラスアルファが伝わってくるのです。
ケイタイで本が読める時代になったけれど、私は書物という形態にこだわって本を作りたいと思っています。
●2010年1月13日(水)
「今、長崎は銀世界です。」もしもし、という懐かしい声のあとにこの言葉が続いた。
『ナガサキの郵便配達』の主人公谷口稜嘩(すみてる)さんからの電話だった。「銀世界」という時、なにか少年のような心の弾みが伝わってきた。今年81歳になられる。お元気ですか、の問いかけにも弾んだ声で「ええ、元気です」と背筋の通った声が返ってきた。
「今雪が降っていて山も街も真っ白。久しぶりの雪です。私の家は山の上にありますからそこからチェーンをまいて車で事務局(被爆者協議会の)に来たんです」
谷口氏は長崎の原爆で瀕死の重傷を負い、背中に重いケロイドを抱えながら生きてこられた。
長崎の原爆資料館には焼けただれた真っ赤な背中でうつ伏せになっている谷口少年の写真が掛けられている。
谷口氏の物語は英国空軍のエースだったピーター・タウンゼント氏が、後にジャーナリストとなって1冊の本に書きあげている。The Postman of Nagasaki(1984 Harper Collins)である。
いったん日本語訳が出たものの絶版となっていたこの本を復刊するために私たちは長崎を訪れ、谷口氏にお目にかかった。この時以来のお付き合いである。
「4月にはナガサキで大会があります。5月にはまたニューヨークへ行きます」
谷口氏は激しいことも、恨みごともまったく口にしない。ただひたむきに核廃絶を願って行動されている。
「お気をつけて」といいながら頭を下げ、私は受話器を置いた。
●2010年1月09日(土)
「アメリカ人すべてがヒロシマに行くべきです」と言い切ったのはブッシュ政権時代に米国務省でアドバイザーを務めた研究者バルビナ・ファンさんです。2009年11月東京での講演後に記者団と懇談した際に発した言葉だという。
1月4日の毎日新聞の社説は「核廃絶に踏み出す時だ」という見出しでこのファンさんの言葉を冒頭に持ってきています。講演の直前に広島で原爆資料館などを訪ねた時の印象を尋ねられてひとこと彼女はこう言ったのです。「彼女が見たのは被曝の実相ではない。その生き地獄の真の残酷さにはとうてい及ばない展示でも、自分の目で見れば米国人も激しく魂を揺さぶられる。核兵器の廃絶を願う心の原点は、今も広島と長崎にある」社説はこう続きます。
戦火もテロの恐怖も消える兆しのない今の世界。オバマ大統領が昨年プラハで核廃絶を願うスピーチをしたのは、米国が誰よりも核テロの危険が増していることを感じ取っているからです。核テロがあったら、世界は終り。バルビナ・ファンさんが魂を揺さぶられたヒロシマを一人でも多くの人に見てもらい、核の恐怖を感じとってもらいたい。『想い出のサダコ』の英文冊子を出すにあたり、大倉記代さんの文章を読み返しながら彼女の叫びがふたたび私の心に響いてくるのを感じました。
●2009年12月18日(金)
広島平和文化センターの理事長スティーブン・リーパー氏は
超多忙でいらっしゃるとお聞きしています。にもかかわらず今回
『想い出のサダコ』英文監修を快くお引き受け下さいました。
クリスマスから正月にかけての休みの間に目を通しましょう、
ということでした。感謝の気持ちでいっぱいです。
また在庫がなくなってしまった『サダコ』の増刷について悩んでいる時、私たちよも出版出発の時にお世話になった東京リスマチックの鈴木さん(10年前に印刷を担当して下さった方)に相談したところ、「応援したい気持ちでいっぱいです。無理かなと思うことでも言ってみてください」
と心強い言葉をいただきました。
10年の月日が経ち、今では会社のトップにいらっしゃる方です。
思わず会社立ち上げの時に右も左もわからない守屋と私をやさしく導いてくださった鈴木さんの笑顔を思い出しました。
暖かい応援者を得て、サダコ3部作は2010年新しい出発をします。
どうぞよろしくお願いいたします。
●2009年11月17日(火)
10月30日、まもなく100歳の誕生日を迎えられる詩人まどみちおさんにお会いしました。まどさんは今、東京稲城市の病院に入院中です。「目と耳が不自由で」、と車椅子で談話室までいらしてくださいました。
お会いするなり、「ぼくはね、ただただ祈りながら絵を描いているんです」とおっしゃり、手に持った絵を見せて下さいました。それは何重にも描かれたハートの絵で、さまざまな色が使われています。
「この間までは定規を使っていろいろ描いていたんですが、今はねフリーハンドでハートの絵を描いてるんです。
世界の平和、地球から戦争がなくなるようにと祈りながらね」
「けんかなんかしてちゃだめだよ。白いのも黒いのも、ぼくらみたいに茶色いのも、みんななかよくしなくちゃ」次々と言葉が出てきます。
特に一緒に行った小学校5年生の男の子があいさつすると、顔全体が輝いて
「子どもは大好きだ、子どもはいいねえ」と彼の手を両手でにぎって力強く振りました。
「君たちの未来は君たちが作っていくんだよ。みんなが幸せになるようにがんばれよ」
まどみちおさんの詩が大好きで、いくつも暗誦しているその男の子はまどさんに「なまこ」という詩を聴いてもらいました。まどさんはじっと目を閉じていらっしゃいました。
たくさんのまどさんの詩は子どもたちの心の中で生き続けています。大人になってもそれは大切な宝物として消えることはありません。
まどさんの詩はやさしいけれど深い、そしてユーモラスです。